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    憲法論議 伊藤真氏 2015年参議院参考人意見陳述

    2016 - 09/11 [Sun] - 21:51

    私は大学の学部は経済学、大学院は芸術学の出身ということもあって、法律論議は大の苦手。

    私にとっての「法」「律」は、仏法であり戒律のこと。仏法と戒律は、私の内なる世界、私の信仰心の根源をなしていて、人生のある時、自らの意志と必然性を持って受け入れたものです。

    それに対して、娑婆世界の「法律」というものは、私の自由を制限するものでしかないと、普段思っています。私はこれまでの人生で、何か不利益をこうむって誰かと争い、法律を盾に訴訟を起こさねばならぬような事故や事件、出来事に遭遇したことは、一度もありません。

    普通に生活していれば「法律」は縁遠いもの、と思っている、戦後生まれのごく普通の市民です。

    ところが、最近やっと「法律」と「憲法」とは性格が違うものだという事を理解するようになりました。「法律」は私たちに命令しますが、「憲法」は、私に命令してくる「国家の権力」を規制するものであり、私の「自由」や「権利」を保障する根拠となっているものなのだ、と。

    これまでの人生経験で、なんとなく、この世の中(娑婆世界)には、3種類の人が存在すると、理解しています。

    (1)普通の人々、一般人、市民
    (2)軍人
    (3)公務員

    私たち普通の人々が、軍人や公務員からの圧力、暴力、謀略、不平等から身を守るために「憲法」があるのだ、という事ですね。

    今の日本で、いろいろな議論から意見収集して、今のところ、私が聞くに値すると思える憲法議論を、ここに掲載しておきます。

    憲法発布

    憲法発布2

    2015.9.8参議院 平和安全法制特別委員会
    伊藤真 参考人意見陳述全文

    「弁護士・伊藤塾塾長 伊藤真オフィシャルサイト」
    http://www.itomakoto.com/news/pg310.html

    YouTube
    https://www.youtube.com/watch?v=5YBnEdjqrp0

    1 政策論と憲法論

    伊藤真でございます。

    今回の安保法案が今の日本の安全保障にとって必要か適切か、そうした議論はとても重要だと思います。しかし、それ以上に、そもそも憲法上、許されているのか否かの議論が、未だ十分になされていると思いません。どのような安保政策であろうが、外交政策であろうが、憲法の枠の中で実行すること、これが立憲主義の本質的要請であります。憲法があってこその国家であり、権力の行使であります。

    憲法を語る者に対して、往々に「軍事の現場を知らない」、「憲法論は観念的だ」とよく批判されます。しかし、不完全な人間が実行する現場、そして現実、これを人間の英知であり、観念の所産である憲法によってコントロールする。まさにそれが人類の英知であり、立憲主義であります。憲法論が観念的で抽象的であるのは当然のことであります。現場の感情や勢いに任せて人間が過ちを犯してしまう。それをいかに冷静に知性と理性で縛りをかけるか、事前にコントロールするか、それがまさに憲法論の本質と考えています。

    憲法を無視して今回のような立法を進めることは立憲民主主義国家としては到底ありえないことです。国民の理解が得られないまま採決を強行して法律を成立させることはあってはならないと考えます。本法案は、国民主権、民主主義、そして憲法9条、憲法前文の平和主義、ひいては立憲主義に反するものでありますから、直ちに廃案にすべきであると考えます。

    2 国民主権・民主主義に反すること

    (1) 民主的統制がない違憲状態国会

    国防や安全保障は国民にとって極めて重要な政策課題であります。ですから、その決定事項に従うためには、それを決定する国会に民主的正統性がなければなりません。憲法は前文冒頭で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と規定しています。

    なぜ正当な選挙が必要なのか。それはそこでの多数決の結果に賛成できない国民であっても権力行使を受ける以上、それに納得できる手続きが保障されていなければならないからです。仮に結論に反対であったとしても主権者国民の多数から選出された代表者が、十分に審議討論して、その問題点を明確にした上で成立した法律なので、仮に結論に対して反対であったとしてもとりあえず従うということであります。そして、国会における法律制定という国家権力の行使を正当化するためには、どうしても2つのことが不可欠です。

    ・正当に選挙された代表者であること。
    ・十分な審議によって問題点を明確にしたこと。

    残念ながら、ともに充たされていないと考えます。

    現在の国会は、衆議院については、2011年、2013年、参議院については2012年、2014年とそれぞれ2度も、毎年最高裁判所によって、違憲状態と指摘された選挙によって選ばれた議員によって構成されています。いわば国民の少数の代表でしかありません。これは異常であり違憲状態国会ともいえるものです。この瞬間ここにいるすべての皆さんを敵にまわしてしまったような気がするのですが…(会場から笑)。

    そこで安保法制という国民生活の根幹に関わるような法律を制定しようというわけですから、憲法判断において最高裁を尊重するというのであれば、まずは最高裁が指摘するように、議員定数を憲法の投票価値の平等の要請に合わせ正して、民主主義が機能するようにしてから、こうした議論をするのが筋ではないかと考えます。

    このように代表民主制としての正統性を欠く国会である場合、主権者国民の声を直接、聞くことが不可欠と考えます。連日の国会前の抗議行動、全国の反対集会、デモなどを始め、各種世論調査の結果で、国民がこの法案に反対であることは周知の事実となっています。

    (2) 国民の声の意味

    国民の声はけっして雑音ではありません。自分たちの生活が根底から覆されるのではないかと危機感を抱いている生活者であり、また主権者であり、憲法制定権者の声であります。国会議員にとっては、自分たちを選出し、権力行使を授権してくれた主人の声です。実際に声を上げている人々の背後に思いを共有する人々がどれほどいるのでしょうか、民意を尊重する政治家ならば想像力を発揮すべきだと考えます。

    違憲状態という異常事態の国会であるからこそ、国民の直接の声に謙虚に耳を傾けなければならないのであり、そうでなければ民主主義国家とは到底いえないでしょう。

    (3) 60日ルールを使うことは参議院の自殺行為と考える

    もちろん参議院で審議を継続しているにもかかわらず、60日ルールを使われてしまうようなことは、二院制による議会制民主義の否定であり、あってはならないことです。

    3 民主主義と国民の納得

    (1)多数決の意味

    民主主義の下では、最終的には多数決によってすべて物事が決定します。しかし、少数意見、反対意見を十分に聞き、審議を尽くしたといえる審議討論の過程こそが多数決の結果の正統性を担保するものです。十分に議論を尽くすことで問題点を明確にし、それを国民に示すことで次の選挙の際の国民の判断材料を提供するわけであります。十分な議論も尽くさずに次の選挙で審判を受ければよいなどという考えは民主主義を全く理解していないものと考えます。

    国民は国会で十分な議論がなされたからこそ、そこでの結論が自分の考えと違っていてもいったんは納得し従います。この国民の納得感こそが民主主義を支える重要な要素であります。

    国民の納得と支持に支えられて自衛隊は活動します。国民の納得と支持が不十分なままで、他国民の殺傷行為を国の名で行う、もしくは自衛官個人の判断で行うということになると、それは国民にとっても、また現場の自衛官にとっても悲劇としか言いようがありません。

    (2)国民の理解

    では不安を感じている国民も理解できるような十分な審議が尽くされたといえるでしょうか。
    各種世論調査によっても、国民の理解が進んではいないと指摘されております。何事にもメリット、デメリットがあるはずですが、政府側からはこの法案についてのメリットの説明しかないように思われます。デメリットをどのように克服するかの議論がまったくなされていないと感じるからこそ国民は不安になり、反対するのではないでしょうか。

    ・戦争法

    政府は、戦争に巻き込まれることはないといい、また戦争法という呼び方を批判されます。しかし、たとえば集団的自衛権を考えた場合、たとえ要件を解釈で厳格に限定したとしても、その効果は、日本が武力攻撃されていない段階で、日本から先に相手国に武力攻撃をすることを認めるものです。敵国兵士の殺傷を伴い、日本が攻撃の標的となるでありましょう。日常用語ではこれを戦争と呼びます。こうして戦争に巻き込まれるというデメリットを越えるメリットがあるということはなんら説明されていません。

    ・徴兵制

    徴兵制は、憲法18条に反するから全くあり得ないといいます。憲法18条で「意に反する苦役に服させられない」とありますが、しかしこれは公共の福祉で制限できると解釈されているものです。ということは必要性、合理性が生じたら徴兵制も可能ということを意味します。サイバー対策のためのIT技術者、輸送、医療、法務など必要な人材の確保に窮したときでも、限定的な徴兵制すらあり得ないと言い切れるのでしょうか。集団的自衛権の解釈でやってみせたように、これまでの政府解釈を、状況が変化したということで、ある日突然変更してしまうという可能性を否定できません。

    ・抑止力

    抑止力を高めることが、国民の命と幸せな暮らしを守るといいます。
    しかし、軍事的抑止力を高めることで、より緊張が高まり、危険になる可能性もあるはずなのですが、その説明はありません。

    他にも、立法事実が本当にあるのか、自衛隊員と国民のリスクがどうなるのか、後方支援がなぜ他国の武力行使と一体化しないのか、海外で自己保存以外の武力行使が許される根拠はどこにあるのか、他国軍の武器防御が許される法的根拠は、自衛官が海外で民間人を誤射してしまった際の処理など他にも不明な点が山積みであります。多くの国民の疑問を残したまま強引に採決を強行してはなりません。

    4 憲法9条、前文の平和主義に反すること

    (1)憲法前文と憲法制定目的

    憲法は国民が自らの意思で国家に、一定の権限を与えて国家権力を制御するための道具であります。
    憲法は、その前文で、日本国民はこの憲法を確定した、といっています。何のためか、「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」するため、そして「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」、とあります。つまり2度と政府に戦争させない、そのためにこの憲法をつくったわけであります。そのことを具体的に明確にするために憲法9条をおきました。

    憲法は初めから政府に戦争する権限などを与えていません。そこでの戦争は武力の行使、武力の威嚇を含む概念であります。すなわち憲法は、政府の裁量で武力行使、つまり戦争を始めることを許してはいないのです。

    そこで憲法の外にある国家固有の自衛権という概念によって自国が武力攻撃を受けたときに限り、個別的自衛権だけは認めることにしてきました。

    この個別的自衛権は、日本への武力攻撃が行われたときに行使されますから、これは客観的に判断できる基準であります。しかし、集団的自衛権は他国への武力攻撃を契機とし政府の判断で行使されるものであり、限定的な要件を立てたとしてもその判断を政府の総合的な判断に委ねてしまう以上、政府に戦争開始の判断を与えることに他なりません。

    (2)憲法9条と主権者の憲法制定権

    これは日本が武力攻撃を受けていないにもかかわらず、政府の行為によって、日本から戦争を仕掛けていることになります。日本が攻撃されていないのですから攻撃する場所は日本の領土外、つまり外国であります。

    この結果、外国で敵国兵士が殺傷され、施設が破壊される。これは自衛という名目の海外での武力の行使そのものであり、交戦権の行使に他なりません。

    これは武力行使を禁じている9条1項に違反し、交戦権を否定している2項に違反します。たとえ自衛の名目であってもその武力行使によって深刻な被害をうけ、また加害者となるのは国民自身なのであります。国民自らの意思でこうした海外での他国民の殺傷や施設の破壊をする権限を政府に与えるかどうか、自ら決定しなければならなりません。それが憲法制定権が国民にあるということであり、国民が主権に存するという意味であります。

    国民からすれば、自らを危険に曝す覚悟があるのか、自ら殺人の加害者側になる覚悟があるのか、これを自ら決定する究極の自己決定権の行使であります。それが憲法制定権を持つ国民が、憲法改正の手続きをとり集団的自衛権を行使できる国になると選択することに他なりません。本法案はその選択の機会を国民から奪うものであり、国民主権に反し許されないと考えます。

    これだけ重大なことを憲法改正手続きも取らずに、憲法で縛られて、戦争する権限など与えられていない政府の側で一方的に憲法の解釈を変更することで可能にしてしまうことなどできようもなく、明確に立憲主義に反すると言わざるを得ません。

    5 合憲性の根拠

    政府が憲法上、許されるとする根拠が昭和47年の政府意見書と砂川判決であります。
    ともに根拠になるという論証がなされておりません。

    (1)昭和47年政府意見書

    47年意見書の当時から限定された集団的自衛権は認められていたというようなことは、元内閣法制局長官であった宮﨑礼壹参考人がいうように白を黒と言いくるめるようなものでありえません。当時の吉國長官答弁および防衛庁政府見解によって完全に否定されているものです。

    さらに、時代が変わったのだから自衛の措置として限定的な集団的自衛権まで認められるようになったのだと解釈することは、時代の変化による必要性が生じたからこれまで認めてこなかった武力行使を必要性だけで認めてしまうことを意味します。法的安定性が根底から覆されるものであります。しかも昨年7.1閣議決定では47年見解の中核部分である「しかしながら、だからといって平和主義を基本原則とする憲法が自衛の措置を無制限に認めているとは解されないのであって」という重要な記述をあえて脱落させています。

    必要があれば自衛の措置として何でも容認してしまうというこの解釈を許してしまうことは、武力の行使と交戦権を否定した憲法9条を亡きものとし、政府に戦争の惨禍を起こさせないようにするために憲法で軍事力を統制した立憲主義に真っ向から反しています。

    この47年意見書は合憲性の根拠になりえないものであります。

    (2)砂川判決について

    砂川事件最高裁判決は集団的自衛権行使容認の憲法上の根拠にはなりえません。

    これまでも指摘されてきたように、砂川判決は集団的自衛権の可否を扱った判例ではありません。憲法判例が一定の規範的な意味を持つためには、公開の法廷で当事者の弁論によって争われた争点についての判断であることが必要であります。

    持ち込まれた争点に対して、法律の専門家同士が議論を尽くし、裁判所が理性と知性によって法原理を探った結果だからこそ、その判決の内容を国民は信頼し一定の規範としての意味を持つに至るのです。
    まったく当事者が争点にもせず、専門家によって議論もされていない点について判例としての意味を持たせてしまうと、部外者による恣意的な解釈を認めることになり、裁判所の法原理機関としての正統性を失わせ、裁判所の権威をも失墜させてしまうでしょう。

    このように「当時争点になっていなかったのであるから集団的自衛権を認める規範として意味がない」という指摘に対して、それでも合憲の根拠というのであるならば、

    1 争点になっていなくても規範としての意味がある。または、
    2 当時、争点となっていた。

    このいずれかを論証しなければならなりません。しかし、どちらの論証も政府側からなされていません。よって、法的にこの砂川事件最高裁判決を集団的自衛権の根拠に使うことは許されません。

    6 主権者国民の覚悟

    最後に申し添えたいことがあります。そもそも国会議員には憲法上、憲法尊重擁護義務があります。どんな安全保障政策であっても、憲法の枠の中で実現すること、これが国会議員の使命であり、責任であります。

    昨年(2014年)7.1の閣議決定が違憲であることがそもそもの問題の原因なのですから、そこにしっかりと立ち戻って憲法上の議論をしなければなりません。良識の府である参議院の存在意義は衆議院に対する抑止であり、数の力の暴走に歯止めをかけることにあります。参議院の存在意義を今こそ示すことが必要と考えます。

    国民はここでの議論、そしてこの法案に賛成する議員のことをしっかりと記憶します。18歳で新たに選挙権を与えられた若者も含めて、選挙権という国民の権利を最大限に行使するでありましょう。

    昨年7.1閣議決定以来、国民は立憲主義、平和主義、民主主義、国民主権の意味をより深く理解し、主体的に行動するようになりました。これはこの国の立憲主義、民主主義、そして国民主権の実現にとって大きな財産となるものと考えます

    国民はこれからも理不尽に抗い続けるでしょう。戦争はいやだという心からの本能の叫びから、また、今を生きる者として、次の世代への責任から、あらがい続けるでありましょう。それが1人1人の国民の主権者としての責任だと自覚しているからであります。そのことをここに居るすべての国会議員の方が深く心に刻むことを期待して私の意見陳述を終わります。
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