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    ダルマダースの『インド講座』

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    シヴクマール・シャルマ『アンタルドゥワニ』 全訳 (前半)

    2016 - 08/22 [Mon] - 20:03

    ○ 開幕
    ○ 序章
    ○ 父からタブラを学ぶ。
    ○ サントゥールとの出会い。
    ○ サントゥールに没頭
    ○ 学生時代
    ○ Pt.ジャスラジ シヴジーとの最初の出会い。
    ○ Pt.ハリプラサード・チャウラシア シヴジーとの最初の出会い。
    ○ 自立の道

    http://filmsdivision.org/shop/antardhwani-pandit-shiv-kumar-sharma-2

    Anterdwania.jpg


    ■ Antardhwani Shiv Kumar Sharma 70 year memorial Video

    □□ 00000~00056 開幕

    シヴジーのサントゥール演奏

    Antardhwani Shiv Kumar Sharma 70 year memorial Video

    フィルムの許可

    Films Division of India Presents
    Antardhwani タイトル
    A Film by  Jabbar Patel
    Cinematography  Faroukh Mistry
    Sound Disign  Pramod Purandare
    Editing  Nitin Rokde
    Re-Recordist  Dnyaneshwar Pawar
    Line Producer  Madan Ratnaparakhi
    Consultant  Ina Puri
    Associate Director  Jonaci Patel
    Pruduced by  Kuldeep Sinha
    Executive Producer and Director  Jabbar Patel

    □□ 00056~00227 序章

    シヴジーのサントゥール演奏
    ラーガ

    (美しい渓谷を背景に、野外で、鳥のさえずりと共に、シヴジーがサントゥールを演奏)

    このような美しい山間の渓谷の中で(演奏すると)、どこまでも広がる大自然の美しさと音楽とが融合し、私は、この楽器の中に私自身を見失っていきます。

    □□ 00227~00443 父からタブラを学ぶ。
    (古い煉瓦造りの建物の列柱廊にて)

    5歳のとき、父は私に音楽を教え始めました。歌とタブラ、両方同時に。

    そのうちだんだん、私はタブラの演奏に没頭し始め、父からタブラを習い続けました。私の父は左利きでした。お互いに向かい合ってすわり、その間に(タブラとバヤン)一対を置き、父が「ボール」をたたくと、同じ一対のタブラで、私は別の「ボール」をたたきました。このように練習が続き、ある時、ラジオの子供番組でタブラ奏者として演奏するようになりました。私は、タブラソロのプログラムをしたこともあります。

    ますます練習は続き、タブラ演奏に全身全霊打ち込むようになり、昼も夜も、リズムの長さを数え、ペーシュカール、カエダー、レヘラー、複雑なボールをどうやってリズムの中に収めるか、非常に難しい長さのテハイをどう作るか、頭はいつもタブラのことで一杯でした。

    時が経つと、インド全国の有名なアーティストがジャンムの町にやって来ると、タブラ・アカンパニストとして私を指名するようになりました。幸運なことにも、Pt.ラヴィ・シャンカル、Shmt.シッデシュワリ・デヴィ、ベーガム・アクタル女史、ラディカモーハン・マイットラ氏のような、名前の知れ渡った、たいへん有名なアーティストと演奏する機会にも恵まれました。それぞれのアーティストのそれぞれのスタイルの演奏に、タブラ奏者として、どのようなアカンパニー(伴奏)が必要であるのか、スィタールに対してと歌に対しては別の方法が必要ですし、ベーガム・アクタル女史の伴奏をするならば、トゥムリ、ダードラ、ガザルなどの歌の様式によって伴奏は別々です。有名なアーティストの伴奏をしながら、いろいろな様式に、どのような伴奏をしたら良いかを学ぶ環境を与えられました。

    (00417~00429 ベーガム・アクタル女史の歌)

    (00429~00443 Pt.ラヴィ・シャンカル氏のスィタール)

    Shivkumar Sharma 028

    Shivkumar Sharma 003

    □□ 00443~00628 サントゥールとの出会い。
    (都会の建物の窓際に、サントゥールと共にシヴジー)

    ある日、父は私をたいそう驚かせました。父は、私にある楽器を見せました。それは、サントゥールでした。父が言うには 『シヴよ、おまえ、この楽器を演奏しなさい。おれがお前に、この楽器の奏法を教えるよ。』 私はもうタブラという楽器を選んで没頭しているのに、父はなぜ別の楽器を演奏しろなどど言うんだろうと、困惑しました。父が言うには 『シヴよ、落ち着け。お前はまだ分からないだろうが、いつか、お前の名前と、サントゥールという楽器の名前とが一体化する日がくるよ。これはおれから(お前へ)の予言だ。』

    父がなぜサントゥールを私に見せたかと言うと、私の父は、ラジオのジャンム局の音楽監督でした。数年間、カシミールのスリナガル局に転勤になった時、現地で、スフィアナ・マウシキ(イスラム教神秘主義(スーフィー)音楽で、サントゥールが演奏されているのを見ました。

    (00526~00617 スリナガルのダル湖、美しい風景の中で。スフィアナ・マウシキ サントゥール演奏)

    父は願いました。このサントゥールという楽器を、インド古典音楽の演奏に使ってみたいと。

    もし父が、スリナガルのラジオ局に転勤にならなかったら、サントゥールは古典音楽の演奏には使われていなかっただろうし、私はサントゥール演奏家にはなっていなかったでしょう、おそらく、タブラ奏者のままであったでしょう。

    □□ 00628~00749 サントゥールに没頭
    (ジャンムにあるシヴジーの実家にて)

    サントゥールの演奏
    ラーガ

    私が今座っているこの部屋は、私の人生の中でたいへん重みのある場所です。

    Shivkumar Sharma 016

    今、手にしているサントゥールを、私は、あの頃、いったい何時間練習したことでしょう。父が私に音楽を教えていた時、父は歌手だったので、ドゥルパッド、ダマール、カヤール、トゥムリ、あらゆる種類の歌を歌っていました、ですので、この部屋で、自分の知りうる限りの全てを、父は私に教えてくれました。私はサントゥールを持ってここに坐り、父が歌うのを、サントゥールでまねして演奏しようと試み続けました。

    特訓・練習は時を忘れて何時間も続き、しばしば食事を取ることすら忘れました。私の母は、部屋の外からドアをノックして、「シヴよ、ずいぶん遅くなってしまったよ、もういい加減ご飯食べにいらっしゃい。」とささやきました。私は没頭して、この世をすっかり忘れてしまいました。

    Shivkumar Sharma 030

    (00718 父の肖像)

    Shivkumar Sharma 034

    (00734 母の肖像)

    Shivkumar Sharma 035

    (00745 若かりし頃のシヴクマール・シャルマ)

    □□ 00749~00908 学生時代

    (学校の校舎にて)

    父は、音楽家はただ音楽をやっていれば良いというものではないと考えていました。学校の勉強もたいへん必要です。私は「シュリ・ハリシン高等学校」に入学し、その後、ここ「ガンディ・メモリアル・カレッジ」に入学しました。当時、私は、サントゥールとタブラは(自分の楽器として)演奏していました。それに加えて、時にはヴァイオリンを弾いてみたり、ハルモニウムを演奏したり、サロードを弾いて楽しみました。と、お分かりのように、学校の勉強のための時間がどれだけあったでしょう。ですのでね、私はクラスで一番勉強のできる友達からノートを借りて、学年末のひと月、そのノートで(集中的に勉強して)進級試験にはなんとか合格していました。大学院時代は、女生徒の方が男性徒より多く、不思議な雰囲気、ロマンチックな気分に満ちていました。大半の時間は、音楽を聴いたり、聴かせたりして過ぎていきました。学部時代にはサンスクリット語も勉強し、『クマールサンバヴァ』など詩人カーリダースの作品にも親しみました。あの時代は、不思議な世界、特異な雰囲気に包まれた日々を過ごした、夢のような時代でした。

    Shivkumar Sharma 012

    □□ 00908~01013 Pt.ジャスラジ シヴジーとの最初の出会い。

    1955年2月19日、『聖ハリダース音楽祭』にシヴクマール・シャルマ氏は出演されました。プログラムでは、私が先に歌を歌い、次に、シヴクマール氏が演奏しました。その演奏を聴いて、私の妻は、即刻その演奏のテープを (映画監督)ドクター・ヴィ・シャンタラム氏のもとに持っていきました。「お父さん、音楽祭に、こんな楽器を演奏する人が現れたんですよ。製作中の映画にぴったりじゃない」ってね。映画『ジャナク・ジャナク・パェル・バジェ』の音楽監督バサント・デサイ氏に紹介しました。

    (00951~01013 『ジャナクジャナク・パェル・バジェ』からのシーン。バックグラウンド・ミュージックにサントゥールが使われた最初の例)

    □□ 01013~01046 Pt.ハリプラサード・チャウラシア シヴジーとの最初の出会い。

    私たちの最初の出会いは、1957年、デリーの「タール・カトーラ・ガーデン」での演奏会でした。私はオリッサ州から出演し、シヴジーはジャンム・カシミール州からやって来ました。私の実家はアラハバードにあるのですが、私たちは大学の代表として演奏会にやって来ていました。それは『ユース・フェスティバル(若者の祭典)』でした。彼は、サントゥールも演奏し、タブラも演奏し、どちらの楽器にもすばらしい才能があり、多芸多才、忍耐と努力にびっくりしました。私はたった一つの楽器に悪戦苦闘して彼(の演奏)についていくばっかりでした。ですので、全くもって彼の大ファーン(バクト:信者)になってしまいました。

    □□ 01046~01218 自立の道

    1960年、人生で初めて、父との間に諍い(いさかい)が生じました。私に、ジャンムのラジオ局から就職の誘いがありました。私はその仕事をしたくなかったんです。父は私が就職することを望みました。就職すれば、生活が保障されると。ある日、父が「じゃあいったい、お前は何がしたいんだ。」と尋ねました。「何度も言ってるように、フリーランス・ミュージシャン(自由な音楽家)になりたいんだよ。」と答えると、父は「ジャンムに居て、どうなるって言うんだ」と不機嫌になり「立派なアーティストの居るところに行って、お前の腕がどんなもんか、自分の演奏、聴かせてみなよ。お前に何ができるって言うんだ。」

    私もムッとして「分かりました、行きますよ。明後日、出ます。」と言いました。父はびっくりして「お前、どこに行くって言うんだい。」と訊きました。私もその時、どこに行くか、勢い余って口から出たばかりだったんで、全く考えていなかったんですが、突然「ムンバイに行きます」って、答えたんですよ。

    (01143~01218 廃墟にて シヴジーの演奏)

    私は、自分の家を背中越しに見ながら、3日目に、何の準備もしないで、何の計画もなく、ジャンムを離れ、ムンバイに向かいました。

    アンタルドゥワニ 中盤
    http://dharmadas.blog17.fc2.com/blog-entry-60.html
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